About Chikara Iwamura岩村 力について

音楽と語りの未来を紡ぐ
---マエストロ 岩村力のビジョン
株式会社ヴォーチェを立ち上げた岩村力が、どのような人物なのかを知っていただくために企画された本インタビュー記事。
音楽家になりたい方も、音楽ビジネスをされている方も、岩村の言葉に触れることで何かしらの新しい発見があるかもしれません。マエストロの素顔、のぞいてみましょう。
指揮者の役目を知った出来事
Q1指揮者を目指しはじめたのはいつごろでしょうか?
復活祭の時のような大きなミサの中で、神父様と聖歌隊の指揮者である母とのやり取りを目の当たりにして、とても感動したんです。「え?指揮者って、指揮するだけじゃないんだ!こういう大きな場面をコントロールできるんだ!」と。
幼いころから、暮らしのなかに音楽があったんですね。
そうですね。幼い頃から、音楽は私の生活の一部でした。ピアノやクラリネットを習い、小学校では音楽教育の一環としてヴァイオリンのレッスンも受けました。クラリネットの優しく柔らかな音色に魅了されましたし、弦楽合奏ではみんなで心を合わせて音色を作り上げていく...ひとつひとつの瞬間が純粋に楽しかったですね。5年生になる頃には、学校のオーケストラで本格的に管弦楽の演奏を経験していました。それが、音楽の喜びをより一層深く味わうきっかけになったように思います。

Q2指揮者になるため、高校卒業後は音楽大学に
入学されたのでしょうか?
それが、実は違うんです(笑)。自分では、高校卒業後に音楽大学に進学して指揮者の道を進むものだと思っていたんですが、母に相談したところ、意外な提案をされました。「指揮者になると決めているなら、急いで音大に行く必要はない。視野を広げるために、他の分野にも触れてみることが大切」と言われたんです。母も音楽家になる前に他の分野(児童心理学)を学んでいたことがあったため、そのアドバイスには納得するところがありました。音楽以外では理系の分野にも興味があり、エンジニアとして働いていた父の母校でもある早稲田大学理工学部を受験し、無事に入学できました。
長い長い学生生活で見えてきたものは?
Q3早稲田大学での4年間はいかがでしたか?
早稲田では情報数学を卒業論文のテーマに選びました。特に強く印象に残っているのが、どうしても単位が取れなかった電気回路理論の授業です。卒業を目前にしても追試に合格できず、焦りましたね。最後には担当教授に呼ばれて面談することになりました。「岩村くん、進路は大学院進学でも就職でもないようだが、音楽に進むという噂は君のことか?」と尋ねられました。「はい、その通りです」と答えると、教授は「それなら、必ず聴衆を感動させる指揮者になると約束してください」と言ってくださいました。その言葉に励まされ、なんとか単位を取得できました。今思えば、あの時の教授の言葉が、自分の背中を押してくれた大きな力になったのかもしれません。

Q4素敵なエピソードですね。
早稲田大学卒業後は、どのような道を歩まれるのでしょうか?
はい、ようやく音楽大学に進学することになりました。母の出身校でもある桐朋学園大学の演奏学科に入学し、最初はクラリネット専攻でスタートしました。早稲田の学費は両親が負担してくれていたので、今回は自分で学費を何とかしようと、朝は運送会社で仕分け作業、夕方は家庭教師とアルバイトを掛け持ちしていました。早稲田で取った教養科目を単位互換できたおかげで、1~2年生の頃は比較的余裕がありましたね。その後、クラリネットからホルン、そして指揮へと専攻を変更し、研究科も含めて合計8年間も在籍していました(笑)。

Q5では、桐朋学園大学を卒業されたのは30歳ごろでしょうか?
そうですね(笑)。28歳から32歳までの間は、母校の小学校で音楽専科の教員を務めたり、名古屋音楽大学でオーケストラの指導を行っていました。また、指揮者コンクールにも挑戦し、33歳で初めてスイスのマスタープレイヤーズ国際音楽コンクールに出場しました。恩師からは「出るなら必ず入賞しなさい」と厳しい言葉をいただきましたが、そのプレッシャーが功を奏し、指揮部門で優勝し、マスタープレイヤーズ大賞も受賞することができました。その報告を電話ボックスからの国際電話で恩師に伝えたときの喜びは、今でも心に焼き付いています。
音楽人生の転機となった7年間のイタリア暮らし
Q6そこから、指揮者としてご活躍されるようになるんですね。
33歳から35歳の間に、5つの国際コンクールに出場し、すべて入賞することができました。大学卒業後も日本で指揮の勉強を続け、NHK交響楽団のリハーサルを見学させてもらったり、早稲田大学交響楽団で常任指揮者を務める機会を得たりしました。そして、34歳の時にイタリアのトレントで素晴らしい街に出会い、住むことを決めました。翌年の初夏にはアパートを借りて新しい生活を始めました。
Q7イタリアでの音楽活動はどのようなものだったのでしょうか?
イタリアでの生活は私にとって大きな転機でした。34歳の時、コンクールで訪れたトレントという街の美しさに心を奪われ、「いつかここに住みたい」と強く思ったのです。翌年、思い切って日本での仕事を整理し、トレントに移り住む決心をしました。最初は仕事もなく、現地で知り合いを作りながらの生活でしたが、幸運にもスカラ座の楽員たちと親交を深めることができました。彼らが私を「チカラ、チカラ」と親しく呼んでくれるようになり、イタリア国内ツアーの指揮を任されるという大きなチャンスが訪れます。聴衆もオーケストラのメンバーも全員イタリア人で、指揮者だけが日本人!非常に印象深く、貴重な経験でした

音楽を通じて、次の世代に何を伝えられるか
Q8現在、どのような音楽活動に取り組まれていますか?
兵庫芸術文化センターでの『PAC子どものためのオーケストラ・コンサート』は長く携わっているプロジェクトの一つです。小さな子どもたちにも音楽の楽しさを伝えようという趣旨で、指揮者体験コーナーを企画して取り入れた時がありました。ある年、指揮者体験に選ばれずに残念で泣いてしまった子がいましたが、翌年その子はめちゃくちゃ目立つ服装で再びコンサートに来てくれてアピールし、無事に舞台に上がって指揮をすることができました。彼の嬉しそうな表情を見て、音楽を通じて忘れがたい何かを届けられたことに、私自身も心が温かくなりました。
Q9
心が温かくなるエピソードですね。
岩村さんはMCにも定評がありますが、どのようにして
学ばれたのでしょうか?
以前、テレビ番組のコンサートに出演した際、トークのノウハウや時間の使い方を学びました。また、解説付きコンサートでも朗読をする機会があり、経験を重ねてきました。本格的なレッスンを受け始めたのは、2020年5月の新型コロナウイルスの緊急事態宣言が出ていたころ。ステージの仕事がキャンセル続きだったので、ふと思い立ちナレーションのレッスンを受けることにしたんです。
10演奏指導や講演会もされているそうですね。
中高生や一般のコーラス、吹奏楽の指導では、「隣のパートをよく聴こう、ときには自分を主張しよう」といった細かいアドバイスを心掛けています。音楽を通じて次の世代に何かを伝えていけたらいいですね。また、オーケストラを一般企業に例えた講演も行い、リーダーのあり方、集団との関係性などについてお話ししています。
“音楽”と“言葉”の根底にあるもの
Q11
2022年に、株式会社ヴォーチェを設立されました。
どのような会社なのでしょうか?
ナレーションの活動を通じて、指揮者としての自分をマネジメントするために設立しました。VOCEはイタリア語で「声」を意味し、音楽と言葉の共通点である「声」を大切にしたいという思いを込めています。ただ、現在は指揮者としての活動を株式会社ヒラサ・オフィスでマネジメントしてもらい、小規模なオーケストラやナレーションなどの仕事を弊社で行っています。今後は若いアーティストたちとのつながりも大切にし、ヒラサ・オフィスへの橋渡しも考えています。
終わりに、サイト訪問者にメッセージをお願いします。
音楽家を目指す方々や音楽ビジネスに興味がある方々を始めとして、多くの皆さんがこのページを訪れてくださったことと思います。最後までお読みいただき、ありがとうございます。“音楽”と“言葉”の根底にあるもの、それは「声(VOCE)」です。ヴォーチェを通じて、コンサートなどの現場を共に創り上げていくことを心より楽しみにしています。